線維筋痛症
線維筋痛症を患いながら妊娠出産しました
線維筋痛症を知ってください
親友から「線維筋痛症」をテーマにしたドラマがあると連絡があり、TVerで観ました。
自分の過去と重なって、涙が溢れました

私が線維筋痛症を発症したのは26歳の時。
ある日突然、原因不明の全身の痛みに襲われ、検査しても「異常なし」。
病院をたらい回しにされ、親にも「気のせい」と言われ、心の病と誤解されました。
私自身も「甘えてるのかな?」「気のせいなのかな?」と、自分を疑い始めました。
でも、どうしても痛みをなんとかしたくて、毎日痛み止めの注射を打ちに行きました。
効かない薬を飲み続けて胃潰瘍に。
痛みで動けなくなり、布団を敷きっぱなし。
あまりに動けず、久しぶりに布団を干そうとした家族が、私の形にカビが生えていたと驚いたことも。
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洋服を着るのも、シャワーを浴びるのも、布団をかけるのさえ激痛。
それでも、私の元気だった頃を知る友人たちは、痛みを「うそじゃない」と信じて寄り添ってくれました。
あの時の支えがなければ、私は今ここにいなかったかもしれません。
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発症から5ヶ月後、山形にいる外科医とつながり、診察を受け、ようやく診断されたのが「線維筋痛症」。
先生が両親に伝えてくれた言葉が今も心に残っています。
「これはアメリカでは“末期がんの骨転移”と同じくらいの痛みと評価されています。
娘さんは怠けていたわけではありません。
本当に痛くて、どうにかしたくて、病院をまわっていたんです。」
その言葉に、安堵と涙があふれました。
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当時の私は一般企業で働きながら教員免許取得のため学校にも通い、睡眠不足と妊娠によるホルモンバランスの変化。
過度なストレスと負荷が引き金になっていたと思います。
山形に引越し8ヶ月間治療に専念しました。薬は最小限(漢方など)にし、食事や生活習慣でコントロール。
「今回の妊娠は諦めた方がいい」とまで言われましたが、私は無事に出産まで辿り着くことができました。
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出産後も、痛みはしばらく続き、気絶するほどの発作もありました。
でも、念願の娘の存在が私を支えてくれました。
そして発症から5年後、ホルモン治療を始めたことで、少しずつ痛みが落ち着いていきました。
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疲れがたまると今でも少し痛みが出ます。
でも、走ることも、歌うことも、踊ることもできる今の私がいる。
「もう一生歩けないかもしれない」と思っていたあの頃の私には、想像もできなかった未来です。
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私の原点には、この経験があります。
信じてくれる人がいたこと。
励ましてくれる人がいたこと。
寄り添ってくれた人がいたこと。
それが、今の私の“やる気の源”です。
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ルスカミュージックスクールにも、この想いが息づいています。
「今の自分にできることを、全力でやりたい」
そんな想いで、毎日を大切に生きています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました😊
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